歩んだ後に道ができる。
歩む先に、未来がある。


旧中山道(手前は脇本陣)


下古井に残る道しるべ


国道248号バイパス


国道41号名濃バイパス
  道の歴史は美濃加茂市の歴史。このまちは、過去から現在そして未来へと、道とともに歩んでいます。
江戸時代、幕府は江戸を中心とする五街道を整備。そのひとつである中山道が市の南部をはしり、現在の太田本町周辺は、中山道太田宿として栄えました。目的地までの道のりを何日もかけて歩いていたころ、宿場町はまさしく旅路のオアシス。にぎやかだった町の様子が目に浮かびます。
明治時代には、荷馬車や乗合馬車が普及。物流のスピードが上がり、道とくらしの関係はさらに密接になります。
大正時代に入ると、念願の鉄道が開通。大正10年に美濃太田駅が開業し、翌年古井駅も開業。やがてたくさんの人が利用するようになり、昭和時代に入ると駅前は商店街に。市の中心として発展し始めます。
戦後、自動車を持つ人が少しずつ増え、世の中は車社会に。道路に面したところには、さまざまな会社や店舗などが立ち並び、住宅も郊外に建設されるようになりました。
道路の改修・舗装が進む一方、交通渋滞が問題に。愛知県方面への交通が便利な上、「飛騨・奥美濃への玄関口」ともいわれる美濃加茂市には、市内外から自動車が集中。そこで、バイパス整備に着手。国道41号名濃バイパス・国道41号美濃加茂バイパスは工事が進行中。国道248号バイパスは太田地区で通行できるようになり、現在古井地区で工事が進められています。
さて、もうすぐ21世紀。このまちの未来は、やはり「道」がキーワード。市中部に計画中の東海環状自動車道(仮)美濃加茂インターチェンジは、新しい時代へのカギとなります。
周辺は、アクセス道路整備のほか、企業誘致・住宅地整備・公園整備などが予定され、新しい「市の顔」になる地域として期待が高まっています。
また、来年完成予定の美濃太田駅は、駅の橋上化により南北連絡通路と駅北口ができます。駅北部には商業団地が計画され、周辺は将来、市の中心街となることが予想されます。


東海環状自動車道(仮)美濃加茂インターチェンジ予想図


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