人が集い、太鼓が生まれ、鼓動が響いた

「盆踊り大会を盛り上げたい」すべてはその願いから

 「地元の盆踊り大会を盛り上げたい」平成3年4月、子ども会育成会の素朴な願いが、牧野太鼓保存会(以下牧野太鼓)結成のきっかけとなった。「タバコを買いながら、浅野克行さん(初代会長)に『盆踊り大会で太鼓をやろう』と言われた。その一言からすべてが始まった」と森明美さん(現会長)。しかし、メンバーのほとんどが太鼓の初心者。バチを握るのも初めてという人ばかりだった。
 夏に向けての練習が始まった。盆踊りの曲を流しながら、古タイヤをたたいての練習。「盆踊り大会で太鼓をやるんやと」そんなうわさを聞いてか、一人ふたりと練習を観に来る人も。いつしか、参加者は子供も含めて15人ほどになっていた。


みそやしょうゆの樽を「トントコテンテン」

 その年の夏、盆踊り大会が迫ったが、肝心の太鼓は借り物を含む4個しかない。そこで、地元でみそ屋さんを営む浅野年光さんの協力を得て、みそやしょうゆの樽を調達。盆踊り大会では、太鼓の代わりに「トントコ、テンテン」と樽をたたいて、ずいぶん手がしびれたという。それでも盆踊りは多いに盛り上がり、メンバーは太鼓をたたく気持ちよさを初めて味わった。
 盆踊り大会が終わると、「みんなで組太鼓(複数の太鼓で曲を演奏すること)をやろう。曲を作ろうよ」そんな声が、参加者の間で聞かれるように。盆踊り大会が終わって解散するのではなく、新たに本格的な太鼓に挑戦していくことに決まった。ここに牧野太鼓がスタートした。



みんなの熱意が一つの太鼓を作り上げた

 当時、牧野太鼓は太鼓を買うほどのゆとりもなく、「樽をたたくと、手がしびれるよ」という子供たちの声にも後押しされ、「なんとか皮の太鼓を作ろう」ということに。もちろん、メンバーの中に太鼓を作ったことのある人など一人もいない。
 みんなが途方にくれていたとき、加木屋  さんはわらにもすがる思いで、アマチンさん(天野鎮雄さん)がパーソナリティーを務めるラジオ番組に手紙を出した。「だれか太鼓の作り方を教えてください」と。するとラジオを聞いて、名古屋のとある人から連絡が…。その人に教えてもらいながら、平成4年の夏ごろからいよいよ試行錯誤の太鼓作りが始まった。
 「太鼓を作ることができたのは、メンバーのチームワークとみんなの熱意があったから。みんなの気持ちが一つになったから」と浅野さんや森さんは語る。木材を加工して太鼓の台やバチ、胴を作るには大工の佐合武之さんが、飾り金具や取手など鉄板の加工は鉄工業の加木屋好さん、自動車整備工の三輪繁夫さんらがその職人技を十分に発揮。金具ができ、さぁ胴をと思ったとき、食料品店を営む日置勇さんがワインの樽を手に入れてくれた。
 牛皮を入手し、ワイン樽や飾り金具用の鉄板を加工し、失敗を繰り返しながらしだいに本格的な太鼓作りへと進んでいった。「一番苦労したのは皮のなめし。なかなか毛がとれなくて、奥さんに内緒でみんな家から包丁をもってきて毛をそったこともありますよ」と浅野さん。太鼓の皮を引っ張る道具なども見よう見まねで手作り。みんなの熱意が一つの太鼓を生み出したのである。平成4年9月の地区運動会、初めての手作り太鼓がデビューした。
 「最初は、音の出る太鼓を一つでも多く作ることが大切だった。素人が作る太鼓だから素人なりの音でいい、素朴な音でよかった」と森さん。太鼓のこれがいい音という音はわからない、だから今も少しずつ改良を続けているという。



ふるさとの伝承が、太鼓で今に蘇える

 一方、唯一の太鼓経験者であった森さんによる曲作りも進んだ。牧野太鼓の鼓曲は、地元に伝わる昔話や懐かしい祭りばやしがベースになっている。
 平成3年の秋に、初めての鼓曲「牧野祝い太鼓」を作曲。これは、かつて村人が太鼓を打ち鳴らし、笛を奏でていた今は途絶えた祭りばやしを、太鼓で呼び起こそうとする創作鼓曲。地元のお年寄りに話を聞いて作った曲で、祭りなど祝いごとのときに打ち鳴らされる。
 平成4年4月の春祭りには、木曽川の流れを表し、水への感謝を願う「水神太鼓」と「牧野祝い太鼓」の2曲を披露した。これが牧野太鼓としての初ステージである。同年9月の産業祭では、人の気を高めて(練り)、何事も成し遂げることを祈る「練り太鼓」を発表。その後も、木曽川のいかだ流しをテーマにした「ご番所太鼓」や「魂」の2曲が作られ、牧野太鼓が演奏する鼓曲は5曲となった。



子供が立ち、大人が支える 牧野太鼓のステージ

 メンバーは、友達や家族などをとおしてしだいに増え現在は女性13人を含む約50人。アメリカ人のジェイソン・コラドーナさんとジェイムズ・マックブライドさんも、「太鼓をやりたい」と牧野太鼓に飛び込んだ。 「最初は子供だけやらせようと思っていたら、いつの間にか自分もやることに。、子供のほうが覚えるのが早くて、子供に教えてもらいました」と笑うのは川辺町在住の桜井忠さん。「人と人とのつながりを大切にしていきたい」というのが牧野太鼓の願い。だから牧野で誕生した牧野太鼓だが、メンバーは牧野地区に限らない。桜井さんのように市外の人も多く、多治見や御嵩から参加している人もいる。 また、小学生から大人までメンバーの世代が豊かなことも牧野太鼓の特徴。子供が前に立ち、大人が後ろで支える、そんな牧野太鼓のステージはどこかあたたかみが感じられる。


牧野太鼓は美濃加茂の華に

 牧野地区の盆踊り大会や春祭りなどで活躍、地域に定着した牧野太鼓はさらに活躍の場を広げる。
 8月に行われるおん祭MINOKAMOには平成6年から参加し、成人式や産業祭にも毎年出演している。多くの市民に和太鼓の躍動を伝える牧野太鼓は、市内のイベントを盛り上げるのに欠かせない存在である。
 花フェスタや関市での凧上げ大会、名古屋市の「障害者と市民のつどい」や浜松の凧上げ祭りなど、市外のイベントにも積極的に参加。「太鼓をとおして、岐阜を美濃加茂を牧野をもっと多くの人に知ってもらいたい」と、市外での美濃加茂のPRに一役買っている。
 さらに、牧野太鼓は今年の10月には海を渡り、オーストラリアのダボ市(姉妹都市)でも見事な演奏を披露。「地元の盆踊りを盛り上げよう」と牧野地区で生まれた牧野太鼓は、美濃加茂の華として大きく育ち、世界へと羽ばたいた。



牧野地区の人たちと子供たちに支えられて

牧野太鼓保存会初代会長 浅野克行さん(牧野)

 私たちが太鼓を続けてこれたのは、子供たちのおかげです。最初、ポスターでメンバーを募集したら、集まったのは子供がほとんど。子供たちが楽しそうに太鼓をたたく姿を見て、家族や友達へと太鼓の輪が広がりました。
 お年寄りが目に涙を浮かべ、一生懸命に太鼓をたたく子供たちを見つめていたことを覚えています。そのとき「やって良かった」と思い、それほど感動してくれたことがうれしかったです。どんなに大人が上手にたたいても、一生懸命たたく子供にはかないませんね。子供たちは曲を覚えるのも、バチを回すのも早いですよ。太鼓をたたいている子供たちは、いきいきしています。太鼓が子供たちのいい思い出の一つになれば、そう願っています。 牧野地区の人たちの協力も忘れられません。寄付をしていただいたり、声援をおくっていただいたり。みなさんにあたたかく見守っていただいて、ここまでやってこれました。周りの人たちに感謝しています。



大空に舞う凧にも魅せられて

牧野太鼓鼓凧会 加木屋信夫さん(牧野)

 「凧が大空に上がった瞬間、思わず『やったぁ』と叫びます」と加木屋信夫さん。加木屋さんらは、平成2年に子供会育成会のメンバーで下米田凧愛好会を結成。その後、鼓凧会と名前をかえ、牧野太鼓のメンバーを中心に、毎年関市で行われる凧上げ大会に参加しています。  最初は3畳ほどの凧から作りはじめ、今では6畳もの大きな凧を手掛けています。「凧作りで一番難しいのが、弓形に凧をしならせたときのバランス。バランスが悪いと、凧は回転して落ちてしまうから」大きな凧は、作り上げるのに1カ月もかかるとのこと。もちろんそんな大きな凧ですから「試しに上げてみる」ことは不可能。本番あるのみです。  「凧が上がるかどうか、それは上げてみるまでわかりません。だから、上がったときの感動も大きい。自分の作った凧が、自由に大空を舞う…気持ちいいですよ」加木屋さんらは、太鼓はもちろん、大空や凧にも魅せられています。



産業祭で声をキャッチ

野田勝子さん 幹くん 穏くん

 太鼓の迫力に子供たちも驚きました。今日は子供たちにも太鼓をたたかせていただき、とても楽しかったようです。今までにも産業祭や夏祭りで、何回も牧野太鼓の演奏を聞きました。また、今度聞けるときが楽しみですね。私も若かったら、太鼓をやってみたいと思いました」




土屋智裕さん 諒馬くん まこちゃん

 牧野太鼓は古くからあると思いましたが、誕生8年と歴史が浅いのにびっくり。8年間で、自分たちで太鼓を作り、このように演奏するなんてすごい。みなさんの太鼓をたたく姿には気合いが表れ、私たちにも伝わってきます。太鼓を見ていると、る私たちも気持ちいいです。手作りの太鼓グループは県内でも少ないと思います。これからもがんばってほしいですね」



牧野地区と牧野太鼓

 八百津町との堺に位置する牧野地区は、人口は約1、600人、世帯数は約500世帯。地区の南には、木曽川がゆうゆうと流れます。 江戸時代(寛文5年)、牧野には尾張藩の材木役所(牧野ご番所)がおかれ、木曽川を下るいかだや舟の監視、抜け荷の取り締まりが行われました。伊勢神宮で使われたご神木がいかだにくまれて牧野を通る際には、村人によって祭礼が行われたといいます。
 牧野太鼓ではそのときの祭りばやしや牧野地区の歴史を、創作鼓曲として太鼓で今に伝えようとしています。


太鼓メモ

大きな太鼓と小さな太鼓

 牧野太鼓なかで、最も大きな太鼓は直径約1.6m、長さが約2.6m。「5尺の太鼓」と呼ばれ、平成5年9月から半年かけて作られました。太鼓が出来上がったとき、大きすぎて部屋から出すことができず、なんと壁を壊して出したとか…。
 演奏で使う最も小さいものは、直径・高さが約30m。大きい太鼓は「ドーン、ドーン」と低い音が響き、小さい太鼓は「トン、トンと軽い音がします。



太鼓のベーシスト!?

 太鼓の演奏で、一人だけ長い竹のバチで比較的小さい太鼓をたたいている人がいます。
 これは「三つ打ち」とか「地打ち」と呼ばれ、三拍子のなど曲の基本のリズムを刻み続けるパート。ほかのメンバーは、このリズムに合わせて太鼓をたたきます。「三つ打ち」は、バンドではベースのような役割。
 「三つ打ちはえらい」といわれます。同じリズムを刻み続けることは、体力と技術が求められるのです。



太鼓の音や響きはなぜ違う?

 牧野太鼓の太鼓はすべて、音や響きが違います。
 太鼓の大きさ、皮の厚さや張り具合などがどの太鼓も微妙に違うからです。また、皮のどこをどのくらいの力でたたくかによっても音や響きは違います。 同じ音の太鼓をいくつも作ることは、ほとんど不可能。太鼓がそれぞれ個性的な音を出すことが、手作り太鼓のいいところです。



「チンチキチン、チンチキチン」

 太鼓の演奏を聞いていると、「ドン、ドーン」という太鼓の音のなかから、「チンチキチン、チンチキチン」と金の音が聞こえてきます。太鼓の演奏のなかで、一つだけ太鼓ではない楽器です。その音から通称「チキチン」と呼ばれる鉄製の楽器で、もちろん手作りです。



鼓動が心に響く 牧野太鼓 目次

鼓動が心に響く 牧野太鼓
「太鼓を聞いてよかった」その言葉がうれいい
太鼓はみんなの汗と涙の結晶だ
オーストラリアの大地に牧野太鼓が響きわたる
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