駅のことを語ると、
その時代のまちの姿がわかる。

渡辺成幸さん(川合町)
 美濃太田駅や越美南線などの貴重な映像資料を、数多く所有している。国鉄を経て長良川鉄道(株)に勤務の後、昨年12月に退職。昭和44年、高山本線を走る最後の蒸気機関車を運転。その時の蒸気機関車は、現在古井小学校にいつでも動かせる状態で保存されている。
 わたしが国鉄に就職した当時、美濃太田駅周辺は、駅前通りと旧中山道沿いに民家が集まっている程度で、あとは桑畑と山ばかり。駅前には小さな広場があって、乗合バスの駐車場になっていた。道も細かったね。
 駅の北側はといえば、田んぼが遠くまで広がっていた。今の様子からは想像できないくらい、のどかな風景だった。
 日本が高度経済成長期に入ると、鉄道も変化したよ。蒸気機関車に代わってディーゼルカーが走り始め、列車はスピードアップ。このまちに住む人も増えた。その一方で、単車や自家用車が普及。みんなが裕福になるにつれて、鉄道を日常の足として使う人が少し減ったのは残念。本当は、自家用車より公共交通機関をみんなで積極的に利用した方が、環境を守るためにもいいんだけどね。
 時の流れの中で、駅も少しずつ姿を変えてきた。改札や待合所の改修、駅構内の建物の改修などは今までにもあったけれど、今度は全く新しく建設されて立派になったね。モダンなデザインに、エスカレーターやエレベーター。時代の移り変わりをひしひしと感じるなぁ。古くなって取り残されるのではなく、新しく立派になったことは、これからのまちの発展を予感させてくれる。あんまり立派になっちゃったから、完成後初めて行った時は、ちょっととまどったけれどね。
 念願の北口ができ、自由通路が整備され、駅の北側に住む人が列車を利用するときに、わざわざ南口まで行かなくてすむようになった。そして、だれもが駅の南北を行き来できるようになった。すばらしいことだね。列車に乗る人はもちろん、いろいろな人が利用する駅の姿は、これからの時代にあったもの。今までより、もっと地域に溶け込んだ存在になるよ。
 「まちの玄関口」といわれる駅とその周辺が、外見だけでなく、あたらしい機能を持って生まれ変わったことを、わたしはとてもうれしく思う。新しい駅は、これからのまちづくりに、きっと大きな役割を果たすことだろう。


●美濃太田駅の歩み

大正10年11月12日
  美濃太田駅開業・高山線開通

大正12年10月5日
  越美線開通

昭和3年10月1日
  太多線全線開通

昭和7年4月1日
  美濃太田機関区創立

昭和9年8月16日
  越美南線全線開通

昭和43年9月24日
  美濃太田気動車基地使用開始

昭和54年4月1日
  自動券売機導入

昭和60年10月1日
  長良川鉄道槙J業

昭和62年4月1日
  JR美濃太田駅となる

平成10年3月28日
  JR美濃太田駅自由通路・橋上駅舎完成










特集/新しくなった「まちの玄関口」、美濃太田駅

新しくなった「まちの玄関口」、美濃太田駅。
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