
| 美濃加茂彫刻シンポジウムは「清流と彫刻のまち」をめざし、1988年「岐阜中部未来博」のプレイベントとして、美濃加茂市・(社)美濃加茂青年会議所・市民有志による実行委員会によって、まちづくり及び、市民と芸術のふれあいを目的として第1回が開催され、本年で10回を迎えます。 私たちの住む美濃加茂市は、飛騨木曽川国定公園を眼下に、古くは旧中山道の宿場町として栄えた、自然・歴史環境に恵まれた地であり、近年は東海環状自動車道乗入れ計画、平成記念緑のふれ愛広場(仮称)建設の決定等の大規模事業計画が打ち出され、大きく変貌・発展しようとしています。 その中で、彫刻シンポジウムの公開制作をとおして、このまちの人々が芸術と出会い、作家・作品と触れ合うことにより、新たな文化的・芸術的体験を獲得してもらうことに意義を見出すものです。有形としての作品が景観に溶け込むように、無形としての文化・芸術に対する市民の関心の高まりが、「まちづくり」を考える「ひとづくり」につながるものと確信します。 当実行委員会は、彫刻シンポジウムが優れた作品を生み出すことにより、広く内外に豊かな文化都市としてアピールすることを期待するものです。 |
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●提出書類 1)応募票とマケット写真(35mmスライド) 応募票は作家選考資料となりますので、詳細にお書き下さい。 スライドは前面・後面・左面・右面の4方向から撮影。 ※スライドの返却は致しません 応募点数 1人3点以内(未発表の作品に限ります。) 2)作品集または作品写真(キャビネット大10点以上)を提出してください。 ※作品集を返却希望の方は送料応募者負担で返却します。 |
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●応募〆切 1997年5月3O日(金)16時必着 |
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●書類提出先 〒505 岐阜県美濃加茂市太田本町1丁目1-20 美濃加茂商工会館3F (社)美濃加茂青年会議所 彫刻シンポジウム'97実行委員会事務局 宛 |
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●選考方法 書類及び作品スライドに基づき選考委員会が審査し2名を選考する。 選考日 1997年6月初旬 発表は応募者全員に書面をもって通知する。 | ||||||||||||
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●選考委員 酒井忠康 (神奈川県立近代美術館館長) 山脇一夫 (名古屋市美術館学芸課長) 渡辺俊幸 (美濃加茂市教育長) 早川 港 (社団法人美濃加茂青年会議所理事長) | ||||||||||||
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●作品制作 7月13日(日)〜8月12日(火)の期間に制作会場にて制作していただきます。 期間が不足する場合、事前の加工も認めますが、最小限に止めていただき、期間中は極力会場にて制作してください。 応募票提出作品から形状の大幅な変更は行わないでください。 制作終了から設置まで、1ヶ月程度かかるため、安定した状態で保管できる作品を望みます。 | ||||||||||||
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●設置場所 文化の森(仮称) (ここをクリックしてください) | ||||||||||||
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●制作費用 制作費は、300万円(材料費・運搬費・消費税含む)とする。但し作品 は主催者に帰属する。 シンポジウムに伴う次の経費は主催者負担とし、それ以外(消耗品・制作工具費・工場加工費・交通費等)はすべて作家負担のものとする。 1)期間中の宿泊料。但し、主催者の用意したものに限る。 2)期間中の食事。但し、主催者の用意したものに限る。 3)会場内で制作に係る重機・電源・コンプレッサー・テント費等 4)作品の設置工事費 | ||||||||||||
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●著作権 入選作品の著作権・版権は主催者に帰属する。 | ||||||||||||
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●ふれあい事業 制作期間中には下記の市民参加の催しを開催しますので、 必ず参加・協力願います。
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●運営
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●交通アクセス マップで紹介 | ||||||||||||
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●お問い合わせ 資料等のご請求は事務局までお願い致します。 | ||||||||||||
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●美濃加茂市 人口/47,082人(平成9年1月31日現在) 面積/74.75平方キロメートル 木曽川(日本ライン)の清流によって育まれた豊かな自然 (飛騨・木曽川国定公園) | ||||||||||||
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●美濃加茂市の歴史 美濃加茂には、古くは約1万年前から人が移り住み、生活していました。 時代の流れと共にこの土地も幾多の変遷をくり返し、平安末期から鎌倉時代にかけては摂関家や皇室の荘園として、室町時代に入ると守護土岐氏の領地として栄えました。 江戸時代には、日本五街道のひとつ、中山道の宿場町として行き交う旅人でにぎわい、また、木曽川の太田の渡しは安藤広重によって描かれたように舟運の地でした。 明治以降は、加茂郡役所が置かれ、この地方の政治・経済の中心をなし、そして昭和29年に8町村が合併して美濃加茂市が生まれ、現在に至っています。 |