学校便り

 

 太田小学校ができる前,この場所は尾張藩の太田代官所でした。坪内逍遙先生の父は,この代官所の役人だったのです。逍遙博士は,安政6(1895)年5月22日,厳しくて曲がったことが嫌いの父平右衛門と,本好きな優しい母ミチの間に10番目の子どもとして生まれました。幼い頃は,絵を描いたり木曽川で水遊びをしたり,天神神社の境内にあった椿の実で「木の実振り」という遊びに夢中になって過ごしました。
 10歳の時に名古屋に移って英語を学び,明治9年に上京。そして東京大学を卒業し,明治18年26歳の時に『当世書生気質』や『小説神髄』などの作品を発表して,全国に知られるようになりました。
 逍遙博士は演劇の方面にも力を注ぎ,文芸協会を開設したり,演劇博物館を完成したりしました。また『新修シェークスピヤ全集』の刊行に専心されました。こうして,数多くの業績を残した逍遙博士は,昭和10年2月28日,75歳でこの世を去られました。
 この「逍遙山椿の部屋」は,逍遙博士が好んだ「山椿」の花の名にちなんで名付けられました。この部屋にある資料などを見て逍遙博士の素晴らしさを知り,その人柄にふれることは大事なことです。この地で生まれた逍遙博士を誇りに思い,逍遙博士のような立派な人になるための勉強の部屋として大いに活用してほしいものだと考えています。

坪内逍遙先生

「山椿の歌」の楽譜。逍遙先生が作られた詩に平成7年,当時の佐合良平教頭(現校長)が作曲し,以降太田小学校で歌い継がれています。特に2月の「今月の歌」になっており,「山椿の集い」でも全校合唱しています。

「山椿の歌」の2番。市内在住の書家佐光圭蘭先生が書かれたもの。

山椿の部屋。本校北側にある玄関から入ってすぐ右側にあります。中には逍遙博士に関する資料や逍遙大賞受賞者の資料が展示されています。

山椿の部屋の看板。この部屋は,本校北側の玄関から入ってすぐ右側にあります。

<平日> 8:30〜16:45
※玄関インターホンでお知らせ下さい。
※太田小学校では,防犯上常に玄関を施錠しています。あらかじめご了承下さい。

<休日> 休館しています。ただし,団体等については,あらかじめお知らせいただければ入館可能な場合もあります。見学希望の方は太田小学校教頭にお問い合わせ下さい。
п@0574-25-2604

山椿の部屋の見学

山椿の歌
     作詞 坪内逍遙
     作曲 佐合良平
山椿
咲けるを見れば
ふるさとを 幼きときを
神の世を思ふ

この木の実
振りにしことし
忍ばれて 山椿花
いと懐かしも

学校行事「山椿の集い」

 太田小学校では,逍遙先生が亡くなられた2月に,「山椿の集い」を行っています。「山椿の歌」の全校合唱と朗読発表(逍遙先生が優れた文学者であったことから)に加え,毎年朗読サークルの方の発表や人形劇を鑑賞しています。平成16年度は従来と少し趣を変え,シンセサイザーの演奏を聴きました。