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中山道太田宿

旅人をやさしくむかえる宿場町「中山道太田宿」

広重が描いた宿場町へ。
中山道太田宿は、川と道と人が交わる宿場町。
川が人々に恵みをもたらし、人々の往来が新しい文化を運び、中山道美濃路の中心的な役割を果たしました。
さぁ、江戸時代の風情が残る、太田宿をめぐってみましょう。
あなたが歩くと絵になります。
太田宿の見どころからお勧め散策コースまで、太田宿の情報満載。

※詳しくはこちらをご蘭下さい。
  太田宿中山道会館HP(外部リンク)

「木曽海道六拾九次」太田宿 木曽のかけはし 太田のわたし 碓氷峠がなくばよい
太田宿は、中山道69次の51番目の宿場、美濃十六宿の中央にあります。
太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。
現在も古い町並みや枡形などが残り、宿場情緒を楽しみながら散策できます。
写真は「木曽海道六拾九次」太田宿です。


旧太田脇本陣林家住宅(きゅうおおたわきほんじんはやしけじゅうたく)
きゅうおおたわきほんじんはやしけじゅうたくイメージ 所在地 美濃加茂市太田本町
問合せ みのかも文化の森
電話 0574-28-1110
交通 JR高山本線美濃太田駅から徒歩で15分
地図 PDF(20KB)
 

 旧太田宿脇本陣林家住宅隠居屋が見学できます!

  解放時間 午前9時〜午後5時
  休館日  月曜日・年末年始
  入館料  無料

 中山道69次(板橋宿から草津宿)のうち、起点の板橋宿から数えて51番目の宿が太田宿で、現在は市役所や体育館、図書館などの官庁が集中する美濃加茂市の中心街として栄えている。
 もともと中山道は「中仙道」と表していたが、新井白石が東山道とのバランスから「中山道」として統一したことは有名である。また一般庶民は中山道のことを木曽海道と呼んでいた。
 太田宿は「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と詠われた中山道の三大難所の一つとして知られている。この木曽のかけはしとは福島宿と上松宿の間にある木曽川の支流に架けられた木橋を、太田の渡しとは伏見宿と太田宿の間の木曽川に設けられた渡し船を、碓氷峠は坂本宿と軽井沢宿の間にある碓氷峠をさし、代表的な難所がいつのまにか人々の間で詠われるようになったという。
 このような難所に位置する太田宿は中山道の交通の要衝となり、太田代官所をはじめ船や筏の運行管理を司る川並番などの役所が立地していた。
 また、太田宿の公的な休憩施設としては、幕府の役人や参勤交代の大名などが宿泊した本陣と、本陣の補完的な宿泊施設としての役割を果たした脇本陣があげられる。本陣は正門(市指定の文化財)だけが現存していたが、脇本陣は明和6年(1769年)に建てられた居室部分とやや遅れて建てられた座敷部分からなる主屋と、その裏に並ぶ質倉や借物倉が現存し、昭和46年に国の重要文化財に指定されている。主屋の切妻の両端には立派な「うだつ」が設けられ、また広い土間の吹き抜けの梁組や黒光りする太い柱や板間、大きなかまどなど、18世紀の典型的な町屋の雰囲気が随所に漂っている。
 この脇本陣は本陣とともに近世から近代にかけての歴史の舞台となっており、本陣では安政4年(1857年)の彦根藩主井伊直弼、文久元年(1861年)14代将軍徳川家茂に御輿入れする孝明天皇の皇妹和宮の大行列、元治元年(1864年)水戸藩家老武田耕雲斎などが、一方脇本陣では槍ケ岳を開山した浄土宗の行者である播隆上人や、明治15年(1882年)自由党の総理板垣退助の投宿などの記録がある。なお、岐阜で「板垣死すとも自由は死せず」と叫んで暴漢に襲われたのは、脇本陣をたった翌日であったことは、余りにも有名な話しである。

〒505-8606 美濃加茂市太田町3431-1 美濃加茂市商工観光課内
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