ブックタイトル広報みのかも10月号

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広報みのかも10月号

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広報みのかも10月号

82017.10Report 04東中学校3年中野はなNakano Hana私は、このピースフォーラムを通して、原爆の恐ろしさと平和の尊さを学ぶことができました。また、他の地域の皆さんとの交流や長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典への参列など本当に貴重な経験をさせていただきました。私が3日間の派遣で感じたことは、「実際に行ってみないとわからない」ということです。私たちは、長崎・広島で資料館の見学も行ってきました。展示されていた写真や遺品を見ると、本当にあったことだとは考えられないくらい、悲惨な出来事でした。原爆は、人々を苦しめる恐ろしいものです。原爆による悲惨な被害の実相から目を背けている人にも、実際に長崎・広島を訪れ、自分の心でしっかりと感じてほしいです。もう二度と、原爆による被害を受ける国が出ないように、世界から核兵器が一つもなくなることを願います。私も、今回の経験を周りの人に伝えていくなど、自分達にできる事を少しずつでもやっていきたいです。「原爆の恐ろしさは、だんだん薄れていっている。」原爆と言ってもどこか他人事のような気がしていた僕は、この言葉を聞いた時、はっとさせられました。僕たちは、原爆による被害や、その恐ろしさについては知っています。一瞬で何万人もの人の命と人生を奪う原爆。生き残った人にも大きな苦しみを与える原爆。しかし、それを身をもって知らされた被爆者の思いを、本当に分かっているのもう二度とでしょうか。分かったつもりになっていないでしょうか。戦後72年、被爆者はどんどん少なくなっています。僕たちが、被爆者から話が聞ける最後の世代。僕たちは、被爆者の叫びに耳を傾け、思いを知らなくてはなりません。そして、「核兵器と人類は、共存できない」という強い叫びをこれからも伝えなければなりません。平和のバトンを後世へつなげていくために。「朝起きる事が幸せ。」当時、14歳だった少年の言葉です。皆さんは、どんな時に幸せと感じますか。私はおいしい物を食べた時、欲しい物を手に入れた時などさまざまです。ですが、72年前の8月9日に原子爆弾が落ちた事で、当時の長崎の人たちは普通の生活を送ることすら難しくなってしまいました。ご飯を食べる事も親と過ごす事も出来なくなってしまったのです。私は「朝起きる」というのは「今日も生きている」という事だと思いました。普通の生活が送れなくなるという事を体験したからこそ、そこに幸せを感じられるのだと思ったからです。核の恐ろしさは体験した人でないと分かりません。ですが、過去に起きた事を今につなげる事はできます。広島と長崎であった事をくり返さないために、一人一人が核について深く考えていく事が大切だと感じました。Report 05双葉中学校3年石原伶緒Ishihara Reo被爆者の叫びReport 06双葉中学校3年渡邉友結Watanabe Yui幸せ▲長崎に投下された原爆「ファットマン」の模型