ブックタイトル広報みのかも05月号

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広報みのかも05月号

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広報みのかも05月号

逍遙とウィリアム・シェイクスピアWilliam Shakespeareウィリアム・シェイクスピアはイギリス生まれの劇作家であり、詩人でもありました。シェイクスピアの作品は明治初期に輸入され、日本の文学史、芸術史に大きな影響を与えました。逍遙がシェイクスピアの文学的影響を強く受けたのは明治14年から15年ごろからで、彼の作風がそれまでの東洋文学とは異なることに大きな衝撃とちくじやくじゆうのたちなごりのきれあじ感心を覚えました。明治17年、日本で初めての逐次訳『自由太刀余波鋭鋒』(ジュリヤス・シーザー)の刊行以来、逍遙は翻訳と研究を続け、『ハムレット』『マクベス』などを次々と手掛けました。演劇の実践活動でも文芸協会の主要演目となり、明治44年、第2次文芸協会の第1回公演には、逍遙訳の『ハムレット』全幕が上演され好評を得ました。逍遙が『シェークスピヤ全集』40巻の個人訳を完成させたのは、昭和3年70歳のときでした。さらに昭和8年には、現代語訳を目指した『新修シェークスピヤ全集』を刊行。これまでに個人訳の全集を完成させたのは逍遙以外になく、近代日本文学界に大きな影響を与えました。ウィリアム・シェイクスピア(1564 - 1616)イングランドの劇作家、詩人。イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物で、卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われています。◎坪内逍遙の人物像逍遙の日常生活は窮屈すぎるくらいにきちんとしていたそうです。起床、就寝、食事はもちろん、人を訪問したり、集会に出るにも、時間に対する意識が正確でした。繊細な神経を持ち、人の好き嫌いがあっても決して、それを外に現すまいと抑制していたようです。また、逍遙の性格は、寛大で情が厚く、涙もろい一方、厳格で近寄りにくく、気難しいところがありました。新しいものを好み、古いものを嫌っていたそうで、文学、演劇、教科書の編さんは我流で、まねることを嫌い、常に革新を目指していた人物でした。双柿舎に近い海蔵寺境内に造ら物顕彰内郷土の偉人坪内逍遙ました。墓地は逍遙の希望で、茂市民ミュージアムホームページ人■参考資料みのかも文化の森/美濃加熱海で眠るようにこの世を去り28日、晩年を過ごした最愛の地、刊)と称えられました。タルを併10年3月1日東京朝日新聞・夕昭和発10年し、た風逍邪遙かはら同気年管2支月カの高峰的存在であった。」(昭和字を書きました。余りに大きく我国文学史上の一津づ八や一いちが玄関門にある扁へん額がくの文「博士の演劇文学に残した足跡は早稲田大学での教え子である会あい死は新聞で大きく取り上げられ、ことから「双そう柿し舎しゃ」と名付けられ、より)と述べています。逍遙のと言われる柿の大樹が2本あるめている」(『熱海に関する追憶』を新築します。樹齢300余年設備と田舎の趣味とを両立せし住み、大山と田園とを兼ね備へ、都会的明治正45年9、年逍に遙はは自熱身海のへ住移居り静かに過ごした場所です。「海と熱海は、晩年、夫人とともに熱海と逍遙れました。2017.56