ブックタイトル広報みのかも05月号

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広報みのかも05月号

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概要

広報みのかも05月号

特集世界はすべて劇場である美濃加茂の偉人・坪内逍遙ました。て採用されている稿も多くあります。後の教科書にも題材とし学的色彩の濃い読本となっていや文学作品も取り入れるなど文語読本』)も執筆しました。古典また、逍遙は国語の教科書(『国大学を去りました。開記念講義「リヤ王」を最後にて、昭和2年、大隈講堂での公家の研究や講義をします。そしアをはじめ、英文学や欧米劇作はその中心としてシェイクスピ学科が設立されましたが、逍遙漢洋三文明治学23年の、調早和稲」田の大目学的にで「文和と英語を教えました。中学校時代は、修身(道徳教育)長)として開校に尽力。早稲田の創設に参加し、教頭(のち校(現在の早稲す。明治田29年高に等は学、校早・稲中田学中校)学して外国史、憲法論を担当しま設され、逍遙は翌年から講師と専門学校(現早稲田大学)が創苗え、市いち島し明治ま謙け15年ん吉き、ちら大おおに隈くまよ重しげっ信のぶてや、高たか東田た京早さな教育者としての顔専念することになります。小説の筆を絶ち、演劇の革新にたが、文学上の悩みからその後君』などの小説を書き続けましの後も、『妹と背かがみ』から『細文名は一挙にあがりました。そして多くの注目を浴び、逍遙のざまを写実的に描写した小説と刊行。これは当時の学生の生き践書として『当とう世せい書しょ生せい気かた質ぎ』を同年、『小説神髄』の理論の実た先進的なものでした。芸術としての価値があると認め内部を写実的に描写する小説にの勧かん善ぜん懲ちょう悪あく主しゅ義ぎを捨て、人間の行します。これは江戸時代から理論書である『小しょう説せつ神しん髄ずい』を刊明治18年、逍遙は近代小説の文学者としての顔▲早稲田大学坪内博士記念演劇博物館1928(昭和3)年10月、逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生をかけた「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念し、各界有志の協賛により設立。日本国内はもちろん世界各地の演劇・映像の貴重な資料を揃えている博物館。東京都新宿区有形文化財。頭とする明治文38年芸に協は会、が大設隈立重。信明を治会類の作品を発表しました。曲きょく浦うら島しま」「お夏なつ狂きょう乱らん」など11種劇の理論書『新しん楽がく劇げき論ろん』と「新しんための新舞踊劇運動では、舞踊舞踊本来の自由な姿を取り戻す「牧まきの方かた」「二ふた葉ばの楠くすのき」を発表。「桐きり一ひと葉は」「沓ほと手と鳥ぎす孤こじ城ょうの落らく月げつ」歴史を素材にした史劇では、せました。であるいくつかの脚本を完成さ劇に対する理論の研究と実践書改良に向けて意ました。明治欲20年をご燃ろやかしら、演演劇らに演劇への関心を深めていき逍遙は、東京大学へ入学後、さ幼いころから演劇好きだった演劇人としての顔品を寄付しました。で、逍遙はその建築資金や収集志の協賛により創設されたもの40巻翻訳完成記念として各界有祝い)と『シェークスピヤ全集』成します。古稀の賀(70歳のおた演劇博物館が早稲田大学に完昭和3年、逍遙の念願であっども行ったのです。イクスピア劇場との比較研究ならに、歌舞伎の文献的研究やシェ向上の目的で提唱しました。さを目指した新児童劇も演劇芸術提唱したほか、「家庭の芸術化」として劇を行うぺージェントをし、野外の自然をそのまま舞台また、「社会の芸術化」を目指ていきました。と呼ばれ、逍遙はその中心となっうした動きは、「日本新劇運動」たりと精力的に活動します。こくったり俳優の養成に乗り出しを確立しようと演劇研究所をつこの頃、逍遙は近代的な演劇劇に絞り再編成します。にそ42年のに責改任組者しと、な逍り遙、は目名標実をと演も5 2017.5