ブックタイトル広報みのかも8月号
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広報みのかも8月号
22016.816俳人たちの見つめた風景瑞林寺(蜂屋町上蜂屋)から西へ山沿いに進むと、下蜂屋には天神神社や巣雲院があり、これらの歴史は室町時代にまでさかのぼることが知られています。また下蜂屋下東には、茶ちゃ磨ずり山やま(ドンケ山)があり、南に広がる水田を見渡せるような小高い丘になっています(下東公民館裏手)。ここに庵を建てたのが、江戸時代の俳人堀ほり部べ魯ろ九きゅう(生年不明?一七四三)でした。魯九は、そこからの眺めを「百田もうろうとして、田かへし、田植、田刈、麦蒔すべて農業の折を見つくすなるべし」として、村の風情を記しました。魯九は、下東の堀ほり部べ五ご兵へ衛いの次男として生まれ、松まつ尾お芭ば蕉しょうの高こう弟ていで犬山出身の内ない藤とう丈じょう草そう、沢さわ露ろ川せん(三重県伊賀市出身)らに俳句を学びました。二人の師や美濃で俳はい諧かいを開いた各か務がみ支し考こうが、魯九の庵を訪れています。また庵には、俳句を学ぼうとする地域の人々が集いました。「蜂屋元禄俳人」として知られる九人のことが、瑞林寺境内にある石碑に刻まれています。人々はこのような場所に集い、魯九の庵や付近にも刺激されたことで、それぞれに句を詠みました。ここでは、およそ三百年前の俳人たちの見つめた風景があります。