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暮らしのみち中山道の路地江戸時代、多くの人たちが行き交った主要街道・中山道の太田宿。幕末の和かずのみや宮下向の時には一度に2万人もの通行がありました。それらを支えるため街道の道幅の特徴の一つに、3間という広さが確保されていました。太田宿は街道と並行して南に木曽川が流れ、さまざまな物資を運ぶ湊みながと置かれて中山道と直結していたことが特徴として挙げられます。船頭の屋敷なども川に面して建ち、中山道と川をつなぐ生業の道が何本も作られました。一方、中山道の北側も宿場内の道が造られ、中には北方の集落へつながるものもありました。これら小路の道幅は利用の度合いに合わせて南は1間ほど、北はそれと比較してやや狭い幅だったようです。弘こうか化2年(1845年)の古地図には中山道を中心に広がる小路が描かれており、現在もその多くを確認することができます。路地と住居敷地との区画境には、木曽川から運び上げたであろう立派な玉石が多く使われています。中山道から脇へ一歩入った所には、人々の暮らしの道が今もひっそりと生きています。問みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム?28-1110美濃加茂新24景072MINOKAMO 2015.11.1