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▲家族(左から妻・えんね、次女・綾目、一彦、長女・春枝)昭和24年頃佐野は、十代の頃から亡くなるまで日記を書いています。日記には、「さわらび集」(戦争によりほとんどが焼失)や「つゆくさの日記」「はつしも」といった名を付けています。今回紹介する「伊深日記」も、疎開を機に名付けたものです。「伊深日記」は、昭和二十七年十月十六日まで続きます。日記の大きさは、縦約二十一センチメートル、横約十五センチメートルで、ノートや原稿用紙をとじたものです。書き終えると菓子屋の包み紙や和紙で表装をしています。「伊深日記」では、疎開を余儀なくされた佐野一家の伊深での暮らしがつづられています。一家が戦前暮らした港町・神戸は都市であり、当時の一番新しい生活がありました。しかし、佐野はその神戸を離れることとなります。佐さ野の一かず彦ひこ(一九〇三~一九九七)は東京に生まれ、学生時代に哲学や文化史を学び、ドイツ留学後、神戸の大学で教きょう鞭べんを執っていました。一九四五(昭和二十)年四月、神戸の戦禍が激しくなると、家族とともに岐阜県加茂郡伊深村(現:美濃加茂市伊深町)に疎開、やがて定住します。そこで佐野は、今まで過ごしてきた都市とは違う農村の暮らしに出会い、高い興味・関心を示します。民俗学も研究していた佐野は、疎開直後から伊深の暮らしを日記に書き始めます。それが、「伊深日記」です。日々の食事の内容は絵入りで説明を加え、さまざまな出来事の一つ一つを客観的につづっています。戦後七十年の夏、この「伊深日記」から戦時中の暮らしを紹介します。問文化の森?28・1110▲伊深日記■参考文献美濃加茂ふるさとファイル№16『佐野一彦の「伊深日記」』平成25年12月7日発行『けふ野辺をあるきて佐野一彦の「伊深日記」展』平成25年12月7日―平成26年2月2日開催4MINOKAMO 2015.8.1