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日本奥ライン世界的地理学者であった志し賀が重しげたか昂が木曽川を訪れ、犬山城下の風景を「ラインの風景そのままなり」と絶賛したのは、今からほぼ百年前の1913(大正二)年のことです。ハイカラで新鮮な響きを持つ呼称「ライン」はその後一気に広まり、舟下りが各地で始まり、遊船観光は大脇(現在の可児市土田)や太田などに続き、上流の古井・八百津方面でも始まりました。この流域は「日本奥ライン」と呼ばれ、飛騨川・木曽川の合流点付近でも舟が行き交っていました。昭和2年には、新聞社が主催する催事で木曽川が全国の「日本八景」に、「日本奥ライン小山観音」が「岐阜県下新十名所」の三位に選定されました。それをきっかけに市域は脚光を浴び、観光客でにぎわうようになりました。大正から昭和にかけて、暮らしの中で風景に親しむことが国民の間で急激に浸透し、観光が大衆化していきます。一方、この頃は、その地の景色や風景が、住民にとっての誇るべき郷土のシンボルとして自覚されていく時期でもありました。みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム?28-1110美濃加茂新24景01この連載では、先人のさまざまな物語に触れつつ、今の美濃加茂の知られざる素敵な風景を紹介していきます。改めて地域を眺め、見過ごされがちな魅力の再発見につながることを願います。2MINOKAMO 2015.5.1